おそらくは「この地球の平和を本気で願ってはいない」℃-ute

2011年モーニング娘。9月のシングル「この地球の平和を本気で願っているんだよ」は

舞台裏を見せないで表でさらっとかっこよく生きる女の子の歌だ

『試験勉強した日も「昨日寝ちゃった」と言っちゃおう

陰で努力してても何食わぬかをで生きちゃおう

この地球の平和を本気で願っている』

 

2011年11月モベキマスで発表したシングル「ブスにならない哲学」も似たようなわざわざ言わない、かっこいい女の子の歌だ

 

℃-uteは喧嘩、(エッグから入ってきた子への)ほとんどいじめのような対抗意識、悔しかったこと、何を頑張ってきたか

舞台裏をいちいちぶっちゃける、強い言い方をすれば下世話なアイドルグループだ

 

本来ハロプロの主流は舞台裏を明かさずかっこよくパフォーマンスするアイドルだったのではなかろうか

少なくとも2011年はそのようなアイドルをハロプロとして設定していた

Berryz工房スマイレージは舞台裏を見せない、もしくは見せても遊んでばっかの悪ガキ、でも表ではかっこよくやっちゃうよ、という設定のアイドル

娘。もシングルで歌ってるくらいだから、そのタイプの設定だったのだろう

 

2012年50thシングルからモーニング娘。の歌詞は大きく方向性をかえる

他を激しくアジル歌詞はなくなり、世界観が狭くなりほとんどの場合、男女二人だけの世界の話になる

そして女性がもっともっと愛情を欲するという歌詞が下地になる

おそらくは歌詞の女性を娘。男性をファンと置き換えられるようなカンジなのだろう

22011年のかっこいい女の子像とはほぼ反対の位置にいる女の子像だ

 

℃-uteはもともと下世話なアイドルグループなのだが、売り出し方も常にハードルを上げ続ける、パフォーマンス1番、揃ってる1番、最もチケットが取れないアイドル、美しくってごめんね、神聖なる℃-ute、と格闘技の煽りや国際政治のように強いスタンスを撮り続ける

 

℃-ute路線にモーニングが近づき、モーニングのファンの人数が劇的に増え始める

モーニングを望む層とのマッチングが成功したのだ

これでモーニングのファンになった人達は、℃-uteの兼ヲタになる事も多く、路線が近いことを間接的に証明する根拠の一つになる

 

問題として残ったのは、Berryzスマイレージ

どちらも舞台裏は明かさない、もしくはゆるいが、いざとなるとすごいで売ろうとしていたグループ

しかしこの方法論ではハロプロのパフォーマンスを好むような層とのマッチングが上手くいっていない

 

ついでの話だが「この地球の平和を本気で願っている」と「ブスにならない哲学」のあたりではハロプロが組織的に「変顔」に取組んでいた

2012年路線に変更してからは「変顔」はたまにアイドル個人がやる程度で組織的には行われていない

おそらく上記の2曲の路線と「変顔」は同じ意図のものだろう