℃-uteの5人はいつTeam℃-uteになったのだろうか
鈴木愛理によれば、愛理がふとライブのMCで言ったときから生まれた言葉
2011年7月2日℃-ute「超Wonderfulツアー」の千秋楽にてとされている
2011年初頭、℃-uteのヲタは個人推しが主で箱押しはほとんどいないとされていた
実際、この時期の℃-uteは個人活動が多く、5人で集まる機会が少なかったと
2012年の℃-uteメンは当時を回想して語る
2011年4月℃Sコンにて、スマスタの山田マネが℃-uteを叱責した事により、℃-uteメンは激しく泣いた、との話がブログ、ラジオを通して語られている
このあと、メンバーは互いに何がダメか、何を直すか、衝突をおそれず、ぶつかっていくようになったと、のちのち語られるし、たしか当時のメンの話でもそんなカンジの事を言っていた記憶がある
℃-uteメンの中では、超Wonderツアーにて、ダンスを揃え、遠慮せずに言い合う、そんな℃-uteになったという思いが強いのだろう
それが7月の愛理のチーム℃-ute発言につながったのかもしれない
2012年4月のツアーの時は、℃-uteヲタは箱ヲタが多いと噂されているので、
ヲタが単推しから箱押しに変わったのは2011年7月から2012年4月の間だと推測される
何の雑誌でのインタビューだっただろうか?後で調べたいが、2012年4月から9月の間だろう
鈴木愛理の「1人抜けても1人増えても℃-uteはそれで終わり、解散」という名言を生んだ
ここら辺から「戦うヒロイン」としての℃-uteが始まっていく