音楽的な技術力と個性の話し
このポーズはなかさきのポーズじゃないけど、なっきぃらしい!
ミュージシャンには、そのグループに似合った曲があって、ある一定の技術ラインを越えてるグループは、技術力の高さはある意味、マイナスでもあります。
あるラインを越えるまでは、なにがなんでも技術を高めるべきですが、ラインを越えていれば、技術力を上げることは失うものも大きいです。
上手くなるという事は平均に近づき個性を削るという事を意味しています。そのグループにとっての個性を失う程に、技術力を上げてはいけません。そのグループの良さを表現できる程度までの技術力に抑えるべきです。
音楽の魅力とは、新しい音楽性と、グループの個性、ここらへんが大切です。音楽の技術力を高めるという事は古い価値感の中で個性を削り平均的なプレイヤーになるという事ですが、これをやってしまうと、いままでの価値感で作られた様々な曲を、最高の状態で演奏する、職人的ミュージシャンになるという事に他なりません。
アイドルというのは、そういう既成の価値感を飛び出していくのが面白いものです。そんな職人的プレイヤーを育ててもしょうがない。
℃-uteは下手ですがラインは越えています。あとはむやみに技術力をトレーニングするのではなく、自分たちに必要な音楽を表現する技術、それに限ってトレーニングするべきです。技術力と個性はトレードオフの関係にあります。
技術をトレーニングするより、先にどのような音楽でありたいか、これを最大限イメージする、それが一番必要な事だと思います
もともと℃-uteは、立ち歌は上手くないし、4つ打ちで、ダンスと歌を一緒のタイミングでリズムにのって、リズムのカーブも(日本語の)歌唱とダンスを一緒である事をやり遂げた、おそらく始めてのミュージシャンです。
立ち歌で上手くなろうとすると、立ち歌的なリズムのノリ方をするようになってしまうけれど、そうすると日本の女の子がダンスするためのリズムのカーブと合わないです。またダンス的な意味で最適なリズムのポイントにのると、今度は歌が問題になってくる。
℃-uteが現れるまでは、この女の子の体のリズムと、歌のリズムのズレ、というものが誰も解決できていませんでした。
この極めて限定されたリズムの中で、演奏するという事は非常に難度の高い事ですし、どのような技術が許されているのかは、やってみないとわからないわけです。
このブログではよく書いていますが、スクール上がりの生徒はハロプロには必要ないのではないかと思います。
実際のところやらせてみないとわからない事ですが、鞘師ちゃんは、歌唱とダンスのリズム感がどうもズレて異なるようで、小さいときに訓練して体で覚えたものは、なかなか修正できないハズです。思春期以前に体で覚えた事は、頭のロジックを通過してないので、どのようにしてできるようになったか、たいてい覚えてないもので、それをもう1回ロジカルにやり直すのはとても難しい事だと思います。第二外国語のイントネーション問題に近いのではないでしょうか?
つまり、ダンスと歌唱を最初から、ハロプロ歌唱方法で同時に叩き込まないと、℃-uteみたいな、歌唱とダンスのリズム感が一致するプレイヤーにはなれないのではないのかな、と自分は思っているのです。
℃-uteは小学生のうちに最初から、ダンスと歌唱を同時に叩き込んだわけで、こういう事が可能になったのではなかろうか、と思ってます。
これをハロプロ以外の外のスクールで、違うリズム感でダンスと歌を、それぞれ違う風に叩き込んでしまうと、二度と無理なんじゃないかなぁと。
思春期超えれば、こういうのってたぶんもう無理だと思いますし。