ライトノベル的世界観のももクロ

ももクロが「見えない敵」に「見えない銃」を撃ちまくる

 

ももクロのアーティストとしての下地はブルーハーツ的だ

最近のライトノベルの世界観でもある

 

ダメで何もできない自分が情熱と希望だけで突き進んで、技もテクニックも考え方も完璧な大人達をやる込める、そういう中二病ライトノベル

 

ももクロメンバーの歌やダンスが「下手」である事は必然であり、彼女らが成長しても年相応に振舞う事はなく、いつまでも「ダメで何もできない」それでも「常に全力な」ライトノベル的ヒーロー像

 

今のところ、巧妙にこの仕掛けは隠されているようであり、モノノフ達はももクロがなぜ魅力的に映るのか気がついていない

仕掛けの後半の部分「全力」だけを際立たす事により、仕掛けの前半部分が隠れているのかもしれない

「全力」がももクロの魅力とモノノフが云うと、他のアイドルファンから、他のアイドルも全力だの、全力で歌の練習をしろ、という事を言われがち。

「全力」という単語の存在を保証しているものが「歌ダンスの未熟さ」「幼児性」である

 

ドキュメントアイドルとして、マネージャー達からわけのわからん課題をかされるも、それを「全力」でやり抜いていく、ももクロ

彼女らはダメで何もできない、どちらかというとサボりがちで落ちこぼれがちな、子供が、情熱だけで突き進むという「幼児性ロマン主義」の物語だ

 

七番勝負は、各界の著名人(クロウト)が、ももくろ(シロウト)に課題をかし、それをのりこえていって、勝負の判定をしてもらう、という公演内容。

この公演にも上記のテーゼを基調にしている

 

ライトノベル的「幼児性ロマン主義」のからくりが見えると、モノノフはいつまでも何もできないダメな自分が共感できる存在を求めていて、努力もしないのに情熱があれば成功できる、何もしない自分を肯定するシステム、に気がついてしまう