あの頃の愛理だ!「悲しき雨降りジャケ写A版」と思い出語り

「あの頃は大盛り食べてたっけ」by 愛理

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このジャケ写見たとん、あの頃の気持ちを新鮮に思い出した。正確にいつごろの愛理なのかはよくわからないが、このジャケ写の愛理は「あの頃」の愛理に似ている。

舞美ちゃんが℃-uteは武道館でコンサートやりたいって言ったあの日。それを聞いて℃-uteに武道館に立たせたいって強く思い、悔し涙を流した日。その頃はまだ℃-uteのリズムは未完成で、ダンスも方向性で衝突というか、バラけたり、意志の統一ができていなかった 

それでもなんだか、℃-uteはカッコよくて、すごかった、何かすごい事をやって、これからすごい所に進んでいく気がした。人気もなかったし、特に人気が上昇してなかったけど、でもよくわからないけど、とにかく℃-uteはなんか凄いっていう高まる気持ち表現したかった℃-uteヲタは「℃-uteキテる」と言った。

現状を変えたいっ!どんな経緯だったかよく思い出せないが、℃-uteのMVの再生回数を上昇させる「工作」(笑)に、みんなではまった 事務所からは明らかにどうでもいいチーム扱いだったし、自分たちで何とかきゅーとちゃんを売り出さなければ、って熱い思いを抱いたヲタが多かったんじゃないだろうか。

℃Sコンで山田Pになっきぃが泣かされた時は、ホントに怒った(最初はつんくちゃんじゃないかと噂され、のちに山田Pだった事がわかった)。事務所が℃-uteヲタをスマイレージに流そうと画策したと言われていたコンだったし、そこでなっきぃが泣かされれば、さすがに引き下がる事はできない。

が、結局、あそこらへんで℃-ute5人が自分たちのパフォーマンスについて議論をして、みんなで方向性を合わせていく、大転換点になったようだ。なんだかんだで超Wonderfulツアーを作り上げ、愛理が「みんなでteam℃-ute」って言った。

まあでも、まだリズムの問題点は克服できず、ダンスもふにゃっとしたルーズな動きで、まあ残念な状態だった。

リズムには刻んでるポイントがあるわけだが、そのポイントの前後に幅があり、そこのどこに置いてもリズムは正解だ。

愛理は「ちょっと後ろめが良い」ってその頃言っていて、どういうリズムが良いのか、愛理自身の思いを語っていた記憶がある そして私のリズムの好みも愛理が言葉で表現する「その位置」というか深さというかであり、それらが表現する曲線だったので、愛理が夢に描くリズムが℃-ute5人で表現できる日が来るのをすごい楽しみにした。

見果てぬ夢かもしれないが、そのポイントでリズムを表現できている日本の女性グループなど見たことないし、人種や言語が違えば、そのポイントと曲線を同時に表現することは不可能だ。愛理の夢に描くリズムが本当にものになれば、女性ダンス&ボーカルグループで音楽的にオンリーワンの存在だ。

℃-uteキテる」と「team℃-ute」という言葉を胸に、2011年の大晦日℃-uteの番組を見て過ごし、0:00に℃-uteのサプライズの新年挨拶の動画を見た。その時に、2012年、おそらくこれが最後の年(キッズデビュー10周年)になるだろうから、背水の陣で頑張ろうと、神様に祈った。

2012年春、℃-ute5人のリズムがとうとう完成した。みな同じポイントで同じ回転でリズムをとる、完全な同期したリズム。愛理の夢だったリズムのポイント。

人気もなかったし、知名度もなかったが、とうとう成し遂げた!℃-uteがトップアイドルになった。このまま世に出ることなく解散になっても、℃-uteはトップアイドルで、「本物」だって感激した。

その少しあと、℃-uteニコニコ動画の対バンに参戦して、そこから一気に人気を拡大していった。あのきゅーとちゃんがどんどん大きな舞台で。その日からもう毎日が夢のようだ。

舞美ちゃんが昔言っていた事を思い出す。「℃-uteはチャンスの糸がきたとき、それを掴んで絶対放さないようするために、ダンスと歌を練習し続ける」

この時期の℃-uteと一緒に過ごせてホントに良かった。記憶の宝石だ。

2012年から「℃-uteキテる」「team℃-ute」という言葉を軸に、マネージャ側が頑張ってプロモーションしてくれて、2012年以降のヲタと、それほど気持ちが離れずに進んでいけてるんじゃないかと思う

新しいファンも、ダメな事務所にかわって、きゅーとちゃんを売り出すために、頑張ってくれてるもんね。事務所のダメなところはきちっと文句を言って変えさせる、というteam℃-uteの伝統が残って良かった(笑。