℃-uteライブの原点『粗末な場所のライブ』をアリーナクラスへ持っていくには

一人だけ違う格好しちゃうのはnkskだったけど、今回は舞ちゃんだけ格好つける!

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いくつか前の記事に書いたが、℃-uteのライブはいろいろあっても細かいことは言わず、あえてバカになった方が面白いじゃん!と言ったノリの人に似合うコンサートだろう。これはけっこう昔からその傾向が強かったと思う。

自分は5人時代になったあたりからのファンなのだで、それより以前は知らない。ダンス路線を明確にした後以降の話をしていこう。

事務所がやる気のない℃-uteだが、その代わりに、ヲタは℃-uteちゃんにふさわしい舞台を自分達が用意したい、という思いが強かった。

粗末なセット、粗末な音響、粗末な箱、そんなところでのライブ、これがteam℃-uteの原風景だろう。できるだけ粗末で、え?こんなところで??という所、℃-uteちゃんなんかほとんど見えない、音響もどうなのか??防音も反響とかそういうレベルじゃない、そういう場所でのライブだ。

そんな場所でも℃-uteのライブを最高のライブにしたい、という思いが強かった。ヲタは頑張ったし、℃-uteちゃんは、自分たちはこの場所に居る!まだ立っているぞ、と吠え続けた。

2012年℃-uteを売り出し始めた時に、℃-ute陣営は注意深く、これまでのヲタと、新しいヲタの意識が乖離しないように、適度に事務所からの疎外感や弾圧感、事務所の無能感を煽っていく。

2013年℃-uteが明らかに人気が出てきても、新しくついたヲタは、まだまだ同じ気持ちであるようだ。与えられる事に慣れてる娘。から来たファンや、他の場所から来たファン達が、自分たちで掴み取る事になれているteam℃-uteに同化していき、ブログの文章も、℃-uteヲタっぽい『香ばしさ』へ変化していくのを読むと、頼もしいし、team℃-uteのソウルの部分はしっかり受け渡されているな、と感じる。

 

この℃-uteライブの原点を、ホールコンや武道館、アリーナへ持っていけるか、これがteam℃-uteにとって、アイガーの北壁に匹敵する、高くて険しい壁だろう。

自分が今回、武道館を見て、かなり持って行けた、と感じた。特に前半は素晴らしく、℃-uteの粗末なライブの熱さを持ち込めたと思う。後半は、途中のセレモニーのおかげで、ちょっとわかんなくなってしまった所があるので、ホールコンの群馬で楽しみにしたいところだ。

(Berryzが悪いというわけではないのだが、Berryzの曲ははっきり言って場を深刻に冷やした。せっかくの℃-uteの晴れの舞台に、聞いたあとなんとも言えない嫌な気持ちになるBerryzの新曲を歌わないで欲しかった、新曲やるならロックエロティックとか、手持ちの曲ならいくらでもお祭り気分の曲があったろうに。なんであんな嫌がらせみたいな曲を聞かなければいけなかったのだろうか?)

 

どうやって持っていくか、ポイントはある。

℃-uteの原点の粗末なライブでは、

1.そもそも℃-uteのダンスや姿は、そもそもあまり見えていない。

2.℃-uteがここにいるぜぇ!と吠える、存在を強く主張する歌唱

3.ヲタが℃-uteちゃんに最高の舞台を用意したいという強い気持ち

4.劣悪な環境でも、もうそれを逆に利用して楽しんでしおうという、あえてバカになって楽しむ姿勢、それはたとえば音霊のライブのようなものだ。温度が高ければ高いほど燃える!という、℃-uteソウルを継承した人以外にはわからないような、とてもダンスと歌のショーを楽しむ、という状況ではないライブ程、team℃-uteにとって面白いという背理。

 

ハロプロ的なホールコンでダンスと歌のショー、曲の世界観を作り上げて、みたいな、そーゆー価値観と、上記のポイントは、真逆ではなかろうか!?

上記のポイントこそ、℃-uteのアイドル性を極めてよく演出しており、℃-uteツアーを、歌やダンスを見せるショーとして考えるのではなくて、いったんそういった価値観を解体して、℃-uteのアイドル性をショーアップするには、いったい何が必要か、そこから組み立てなおす必要がある。

もちろん歌とダンスは重要なのだが、そもそもteam℃-uteは、あまり『見ていない聞いていない』時間が多い(笑。歌も、ぶっちゃけた言い方をすれば、パワーとか存在のオーラーみたいなもの、ダンスも磁力みたいな場を制圧する力、そういった、空間の場の力と魂、みたいなモノを「体感」していれば良い。

だから、℃-uteコンは、ももクロと同じにする必要はないが、ハロプロという土壌から、ももクロの方へ寄せた方が成功すると、当ブログでは主張している。