アップフロントの音楽制作能力についての推測

「ボンジュール(笑。」 by 舞ちゃん

f:id:idealogos:20131120123915j:plain

アップフロントの音楽制作能力に常々疑問を抱いていると、このブログでは何回も書いている。UFAにはレコード会社出身の人間が多いのだから、作れる事は作れるのだけど、どうも時代に即した、音楽的パーツの組み合わせができない、という事が多々ある。

それでも努力と挑戦によって、娘。系の自称EDM(自分の知ってるEDM分野の音楽とは、まるで異なる、まず音色が違う)やダブステップ風の音楽は、それなりに様になってきた。

おかげでエレクトロポップディスコやテクノポップもこなせるようになった。

というのが、最近のハロプロ音楽制作事情だろう。

次のステップとして、クラブジャズ・フュージョンの系統の音楽制作に挑戦しており、この系統の音楽制作能力を時代に追いつかせようと、努力・挑戦しているのを感じる。

低下した音楽制作能力を、もう一回時代に追いつかせようと、大きく挑戦し始めたアップフロントの姿勢は、さすが底力のある会社だなと思った。普通の組織なら、このまま低下していってもおかしくないのに、うまくアイドル的なシナリオと、アップフロント自体の音楽制作能力への挑戦を組み合わせて、ファンに目的を悟られないようにしながら誘導し、これをアイドルプロデューサー「つんく♂」としての挑戦、としてストーリーメイクした、アップフロントの芸能プロダクションしての老獪さを感じる。

カンブリア宮殿的なシナリオだと、低下した音楽作成能力を時代に追いつかせたい、という競争力を失ってきた企業の改革、という側面を、つんくちゃんと娘。の挑戦の壮大な物語に仕立て上げた、という事だ。

 

つんくちゃんの音楽は、変なパートを書いて、そのいくつもの変なパートを、変な組み合わせ方して、そして変な音色と、変なアレンジで、それらをすべてごちゃまぜに組み合わせて、最終的に変すぎるから、それはそれで「もはや変ではない」という変さを乗り越えた解脱レベルになるという、そういう魅力が根本だ。

 

きちっとした音楽制作能力があるとき、この変なものを過剰に組み合わせて、最終的に解脱させてしまう、という手法は有効である。

自分が推測しているのは、ちゃんとした音楽を全く作っていなかったせいで、少しずつ音楽制作能力自体が低下していったのではないか、という事だ。

音楽のパーツの組み合わせ方が、なにが標準か、なにが流行りか、そういう事がきちっとわかっているからこそ、なにが「変か」というのが生きてくると思う。

変な音楽だけを作っていたら、いつのまにか、なには変なのか、なにが頭おかしいのか、なにがダサいのか、なにが時代遅れなのか、そういう区別がつかなくなってきちゃったのではないだろうか?

だからアップフロントの音楽制作陣営がきちっとした設計図を作れなくなって、つんくちゃんやアレンジャー、MV、衣装、といった統合的な作品が、崩れていった、と推測している。

 

一つくらいはちゃんとした事をしているグループが必要だったんじゃないだろうか。そこでちゃんとした音楽技術の音楽を作っていれば、こんなに音楽制作技術の低下は起こらなかったのだろう。

 

最近のつんくちゃんの作品で、変さを過剰に組み合わせて解脱させる、そういう音楽としての傑作はこの曲だと思う


モーニング娘。 『What's Up? 愛はどうなのよ~』 (Dance ...

たまにこのくらいぶっ飛んだ曲が℃-uteに欲しいなと、自分は密かに思ったりする。